郷土の歴史・羽田のあゆみ、資料更新「羽田空港は昭和6年我が国の国営民間航空専用空港東京飛行場から歴史が始まったのですが後、昭和16年10月に

霞ヶ浦海軍航空隊東京分遣隊の基地が開設され昭和16年12月8日、第二次世界大戦・太平洋戦争が勃発、約500名収容し特攻隊訓練宿営設備また軍事工場があった。羽田空港の創始者、生みの親、相羽有、元日本飛行学校校長また、東京航空株式会社社長は、昭和20年、終戦と共に、米軍命令、海老取川以東の穴守一体は、稲荷神社数百戸の住居全部が一夜にして立ち退きを強制された。弁天橋と穴守橋も交通を遮断された。この前代未聞の不測の運命に泣いた方々に、ここに半世紀前に飛行場を創始したことに発端することを顧み申し訳ないと思っていると日本民間航空史話の中で謝罪している。旧羽田鈴木町、穴守町、江戸見町の三っの町が犠牲になって羽田国際空港の繁栄と歴史がある事を忘れてはいけない。京浜急行も然り。忘れてはいけない。江戸、明治、大正、昭和初期の敗戦までの歴史を伝え守っている羽田平和の大鳥居です。(政府の行為によって二度と戦争を繰り返さないようにする事を新に決意しましょう。

尚、鳥居は京浜電鉄より穴守稲荷神社に奉納しましたが終戦時、穴守稲荷神社に放棄され、その為、国は余儀なく鳥居を無主物として見守って来ました。平成11年2月4日に現在の場所に移設、それを機に此の地に相応しい平和の扁額を鳥居に平成11年7月18日に羽田ボランティア推進の会より奉納、平和の大鳥居の管理、周辺の美化清掃活動を令和4年の現在も、みんなの羽田ボランティア推進の会が、此の地の繫栄した歴史を伝える活動を行っています。



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