郷土の歴史

羽田のあゆみ

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海辺の行楽地から跡地利用まで
羽田のあゆみ 先人達が築き上げた歴史と文化

新田開発事業の歴史 ~ 羽田鈴木町・穴守町・江戸見町 ~

 

  (年) (出来事)

18世紀末 多摩川河口部を干拓、新田開発始まる
1885(明治18年) 穴守稲荷の一般参拝許可
1894(明治27年) 鉱泉が掘られ鉱泉宿ができる
1898(明治31年) 弁天橋竣工
1902(明治35年) 京浜電気鉄道 蒲田~稲荷橋開通、穴守稲荷、関東屈指の稲荷として賑わう
1909(明治42年) 羽田運動場開設
1911(明治44年) 羽田海水浴場開設
1913(大正 2年) 京浜電気鉄道、穴守稲荷まで延伸
1916(大正 5年) 日本飛行学校、穴守に開設。羽田に初めて飛行機が飛ぶ。

                      大正5年10月5日、玉井清太郎の初飛行。

               この頃、潮干狩り、海水浴、スポーツ等、レクリエーションの場として賑わう

1917(大正 6年) 羽田町干潟に日本飛行学校が創設 

1931(昭和 6年) 羽田飛行場開設 「東京飛行場」として開港
1932(昭和 7年) 羽田競馬場、移転設置
1938(昭和13年) 羽田運動場を買収、拡張
1939(昭和14年) 大師橋完成。羽田の渡し、大師の渡し廃止

1940(昭和15年) 
1945(昭和20年) 連合国軍による接収、拡張。鈴木町、穴守町住民約1200世帯強制退去

                      海老取川以東の住民の48時間以内強制退去

                      「ハネダ・エアベース」に
1952(昭和27年) 飛行場返還

                      連合国軍から大部分が返還され、「東京国際空港」に改称

1959(昭和34年) ジェット機の就航
1960(昭和35年) 騒音の被害拡大。住民運動始まる

1964(昭和39年) モノレール開通、首都高速道路羽田線開通

1967(昭和42年) 羽田鈴木町が現行の羽田空港1~2丁目となり、

             羽田空港跡地の一部は鈴木新田跡地として大田区の有形文化財に指定される。

1970(昭和45年) ジャンボ機が就航

1971(昭和46年) B滑走路延長完成。航空機離着陸年間17万回のピーク
1973(昭和48年) 区議会「空港撤去に関する決議」
1974(昭和49年) 羽田空港移転対策協議会発足
1977(昭和52年) 羽田空港移転問題協議会設立、空港移転協議始まる
1978(昭和53年) 成田空港開港、国際線が成田へ移転
1981(昭和56年) 空港移転について基本合意。「現空港の約半分を跡地に」合意される
1984(昭和59年) 空港沖合展開事業着手。大田区「跡地利用に関する調査報告書」
1988(昭和63年) 新A滑走路供用開始。東京都「跡地蟇本計画策定調査中間報告」
1992(平成 4年) 新ターミナル供用開始

1993(平成 5年) ビッグバード(現第1旅客ターミナルビル)完成

1995(平成 7年) 空港沖合い展開事業完了。200haの跡地が生じる

1997(平成 9年) 新C滑走路供用開始。24時間運用に伴う、深夜・早朝便運航開始

1998(平成10年) 京浜急行線空港へ乗り入れ

2000(平成12年) 新B滑走路教養開始

2001(平成13年) 国際チャーター便(深夜)運航開始

2002(平成14年) 年間国内線利用者6,000万人突破

2004(平成16年) 第2旅客ターミナルビル完成

               200haの跡地が52haとなる

2010(平成22年) 10月21日、D滑走路・国際線地区供用開始。

                      10月31日、国際定期便就航開始(予定)               

 

 

 

 

地図

平成14年撮影の写真です。「空港のとなり町 羽田」より。

沖合い展開前の羽田空港の滑走路、ターミナルビル、駐車場などがあった場所に戦前は羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町がありました。

昭和20年9月21日に米軍による接収され、48時間以内に鈴木町、穴守町住民約1200世帯が強制退去させられました。

空港沖合い展開が完了し現在は跡地となっており、その一部は、東糀谷・羽田地区の避難場所となっています。

平成14年撮影写真「空港のとなり町 羽田」より
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大田区防災地図(平成20年10月) - 東糀谷・羽田地区部分図
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昭和17年蒲田区詳細図
昭和17年蒲田区詳細図

昭和17年の蒲田区詳細図です。「空港のとなり町 羽田」より

昭和17年蒲田区詳細図「空港のとなり町 羽田」より
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昭和20年8月15日終戦時現在、羽田鈴木町周辺図
昭和20年8月15日終戦時現在、羽田鈴木町周辺図

青色部分が羽田鈴木町。

赤色部は当時の穴守稲荷駅からの参道。

昭和20年8月15日終戦時現在の羽田鈴木町周辺図
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昭和19年~20年の羽田鈴木町、羽田穴守町の地図です。

皆さんの住まいわかりますか?

昭和19~20年当時の羽田鈴木町、羽田穴守町地図
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昭和20年当時の羽田鈴木町
昭和20年当時の羽田鈴木町

昭和20年当時の羽田鈴木町の詳細図です。

皆さんの住まい、わかりますか?

以下から、ダウンロードしてご覧ください。

昭和20年当時の羽田鈴木町詳細図
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大正時代の地図。

大正2年に京浜電気鉄道が穴守稲荷まで延伸した後。

大正時代の地図
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明治時代の地図。

明治35年に京浜電気鉄道蒲田~稲荷橋が開通。

 

明治時代の地図
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図書

羽田 九月二十一日
羽田 九月二十一日

羽田 九月二十一日 (ぬぷん ふるさと絵本シリーズ) (-)

野村 昇司 (著), 阿部 公洋

内容(「BOOK」データベースより)
太平洋戦争が終った1945年9月21のことです。占領軍から羽田飛行場を拡張するので、えびとり川以東に住む羽田の人たちは、48時間以内に町を立ちの くようにという命令がくだされました。空襲で家を焼かれ、焼けあとにやっとバラックを立てて暮しはじめた人も、運よく焼け残った家の人も、おおあわてで町 を出ていかなくてはなりませんでした。この物語の主人公しげのように神社の縁の下や、六郷川の土手に仮り小屋を作って住む人、親威をたよって引っ越した人 もいました。そうした人が3000人もふるさとをなくしてしまいました。小学校低学年むき。

空港のとなり町 羽田
空港のとなり町 羽田

空港のとなり町 羽田 (ビジュアルブック水辺の生活誌) (単行本(ソフトカバー))

内容(「BOOK」データベースより)
空港の町羽田。古くから海の幸に恵まれた漁村の面影を残すこの町は、明治時代、都市近郊の遊興の地として賑わいを見せる。押し寄せる近代化の大波に洗われ ながらも生き続ける稲荷や勇壮な祭り、そして興味深いフォークロア。「海辺の聖地」羽田の語られるべき豊かな物語から、近代日本のもつ重層性が浮かび上が る。
内容(「MARC」データベースより)
空港の町羽田。古くから海の幸に恵まれた漁村の面影を残すこの町は、明治時代、都市近郊の遊興の地として賑わいを見せる。近代化の大波の中で生き続ける稲荷や祭り…。近代日本のもつ重層性を浮彫りにする。〈ソフトカバー〉*

羽田鈴木町の返還を求める理由としての意義

~先人達が築き上げた漁村と古来からの羽田の歴史と文化を大切に~

羽田鈴木町の返還を求める理由としての意義
~先人達が築き上げた漁村と古来からの羽田の歴史と文化を大切に~
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