2015年5月17日、羽田平和餅つき大会が無事終了しました。

5月17日(日)、第16回羽田平和餅つき大会が無事終了いたしました。

ご参加、ご協力頂きました方々に、心よりお礼申し上げます。

 

以下、当日の様子です。

主催者あいさつ

羽田鈴木新田跡(大田区指定文化財史跡)の歴史

皆さん、おはようございます。

只今、ご紹介を頂きました。羽田ボランティア推進の会を平成九年に発足いたしました、発起人の吉田でございます。

誠に僭越ではございますが、此の場をお借りいたしまして一言ご挨拶をさせて頂きます。

本日は、東京国際空港記念建造物羽田平和の大鳥居の地域平和文化交流への餅つき大会の集いに、お集まり頂きました。皆様方を始め当会の役員並びに関係者各位の並々ならぬ、ご尽力、ご支援ご協力を賜り厚く感謝お礼申し上げます。

本日は、晴天にもめぐまれ餅つき日よりと言っても過言では無いと思います。こうして、地域平和文化交流への餅つき大会の集いが開催できるのも、此の地を江戸時代の猟師町の名主鈴木弥五右衛門が羽田村の名主石井四朗右衛門に折衝し譲り受け羽田請負新田として幕府に願い出て開墾の許可を得て開発し羽田鈴木新田跡大田区指定文化財(史跡)となっている偉業の大地であり貴重な場所です。

しかしながら過去に悲しい出来事が有りました。

昭和二十年九月二十一日、羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町が進駐軍に接収され三ッの町に住む住民約三千人余りの住民に対し四十八時間以内での強制退去を命ぜられ町から追いやられたのです。

悲惨な過去の戦争の教訓を生かし二度と戦争を繰り返さない事を先人から学び後世に伝えて行くことを目的とし地域平和文化交流への餅つき大会の集いをさせて頂いております。今日、東京国際空港が目覚ましい発展を遂げている其の陰には、尊い先人達の歴史と、その犠牲があるからです。又、此の地の戦前、戦中、戦後七十年を迎え平和への尊厳を伝えてくれているのがそうです。

私の後ろで神々しく堂々と立つ此の地の生き証人であり又、羽田の象徴である、平和の大鳥居です。

経済が世界を支配し武力や核兵器、原発が正義を主張する時代に

終止符を打ち戦争が無く穏やかで平和な真の民主主義を確立をすることが先人への恩返しであると思い平成十一に平和の額を大鳥居に奉納し今日に至っております。ことをご理解して頂きますよう。お願い申し上げまして、本日お集まりの皆様、今日一日、おもうぞんぶん、有意義に楽しんで頂ければ幸いでございます。

末尾となりますが、本日お集まり頂いている皆様方の益々のご隆盛、且つご多幸を心より祈念申し上げまして簡単措辞ではございますが東京国際空港祈念建造物・羽田平和の大鳥居の地域平和文化交流への餅つき大会の集いのご挨拶としてかえさせて頂きます。

本日は誠に有り難うございます。

NPO法人としての理念

皆さんおはようございます。

ただ今、ご紹介を頂きました。

(NPO法人)羽田ボランティア推進の会理事長の佃でございます。

この度、当会の18年間の活動、汚ければ綺麗にしよう。蘇れ清き多摩川をスローガンに始まり、平成11年に、この場所に移設された大鳥居に平和の額を奉納、この地の歴史と文化を後世に伝える活動、15年に、自らの町は、自らがまもる精神で羽田自警団を発足し、その活動実績を認められ東京都から (NPO法人)として認証され、4月1日に特定非営利活動法人、羽田ボランティア推進の会が認証される事が出来ました。

これ偏に、日頃より当会の活動に対し、皆様方のご理解ご支援ご協力の賜ものと厚く感謝御礼申し上げます。

これからも、奉仕を主としての事業は発展し栄、

利得を主としての事業は衰え栄えず

心すべき

を、理念と全うし精進して行く所存ですので、ご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

最後に成りますが羽田平和の餅つき大会で多いに楽しみお過ごし下されば幸いです。これからも、当会に対しご支援ご協力のほどをお願致しまして、私のご挨拶と変えさせて頂きます。

ご来賓のあいさつ

和太鼓 むらさき太鼓

べいごま遊び



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