3月16日、平和の額を掲げました。

平和の大鳥居は日本に二ケ所存在しております。

・(一の鳥居)は、箱根芦ノ湖、箱根神社の湖畔にあります。

 湖上の鳥居は、今上陛下の立太子礼と日本の独立(サンフランシスコ講和条約)締結を記念して昭和27年に建立されました。

 昭和39年に至り、御鎮座1200年と東京オリンピック開催を奉祝記念し、「平和」の扁額が掲げられました。

 揮毫は、講和条約の全権特命大使として調印した吉田茂元首相の真筆になるもので、それ以来「平和の鳥居」。と親しまれています

扁額は湖上四面大鳥居に掲げこの平和大鳥居を新日本登場の記念とし末永く後世に伝えるものであります。

・(二の鳥居)は、昭和4年に京浜電鉄から旧羽田穴守町、旧穴守稲荷神社に奉納された鳥居です。日本は第二次世界大戦で敗戦国となり昭和20年8月14日ポツダム宣言を受託した日本は、8月15日に無条件降伏し戦争を終結しました。8月28日には連合国軍マッカーサー元帥が厚木に到着し、総司令部(GHQ)が設置されそして9月13日には羽田の東京飛行場の引き渡しを申し入れ、21日には海老取川以東の住民に対し、48時間以内の強制立ち退きが命じられたのである。

当時、対象となった住民は羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町の三つの町の約1,200世帯、3,000人余りと言われている。

現大田区(旧)蒲田区当時の蒲田区長から「緊急命令二依り立ち退ヲナシタルモノナルコトヲ証明ス」と言う一遍の家屋立ち退き証明書が発行されただけで、しかもこの命令は警察を通じて口頭で伝達されると言う、今ではとても信じられぬような事態が羽田に発生したのである。羽田にとっての戦争の悲劇は、空襲に加え、こうした終戦後の大波をもろに受けるはめになったのである。町は破壊され文化も歴史も消え去り人々は、町から追いやられ進駐軍の占領下に化け、この地に星条旗まで掲げられ、しかし、大鳥居を取り壊そうとしたが、相次ぐ事故が起きた為、大鳥居はそのままにすることに成りました。この大鳥居は祟りの鳥居と怖れられていた鳥居でしたが、空港拡張も落ち着き民間空港から羽田国際空港へと生まれ変わりました。大鳥居は、旧国際ターミナルビル前、駐車場から空港内弁天橋袂(大田区指定文化財史跡鈴木新田跡)に平成11年2月4日、空航機の電波障害との理由で現在の場所に移設となりました。

平和の大鳥居は、鈴木新田跡の歴史と戦争の惨禍を二度と繰り返さない。(憲法第九条)国際平和主義を後世に伝えている。羽田にとっても国にとっても大切なシンボルです。この地を守っている鳥居に相応しい平和の文字の入った額を奉納致しました。以来、航空機事故もありません。

「争いが無く、穏やかで皆が安らかに暮らせる世の中にする為に、この地を慈しみ皆と共に額に汗をし町を築きあげた先人の歴史に学び平和の大鳥居の由来を後世に伝えている、羽田ボランティア推進の会です」

地域、政治、思想、民族などを超越し全世界が平和である普遍性のある活動です。

この平和の大鳥居は尊い羽田の先人の歴史二度と非政府の行為によって再び悲惨な戦争惨禍を繰り返さない事を願いここに世界平和を誓い平成11年7月吉日に記念し羽田ボランティア推進の会、羽田有志一同の手により掲げたのです。

 


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