【忘れてはいけない羽田の歴史】

 

・1945年(昭和20年) 9月21日 強制立退きが行なわれた日。

・1967年(昭和42年)       羽田鈴木町が現行の羽田空港1~2丁目となり、羽田空港跡地の一部は鈴木新田跡地として大田区の有形文化財に指定される。

・1999年(平成11年) 2月 4日 羽田穴守町から弁天橋たもとの羽田鈴木町に鳥居が移設になった日。羽田ボランティア推進の会では、毎月第三日曜日の多摩川河川敷美化清掃活動と併せ、大鳥居周辺の清掃活動と鳥居の管理を始めた。

・1999年(平成11年) 7月18日  江戸時代、新田開発し要島を干拓した偉業による土地、羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町、羽田の有史に残る偉業、先人たちの魂が宿る大鳥居とその大地と、1945年(昭和20年)9月21日の強制退去を命ぜられ、三つの町約1200世帯(3000人余)が強制退去させられた多くの住民の方々の思いを込め、二度と戦争が起きないことを念願し、羽田ボランティア推進の会と地元の有志一同により平和の額を大鳥居に奉納した。

・1999年(平成11年)10月       この平和の額は、空港事務所より、地元の総意に基づくものではないとの理由で、取り下ろしの要請があったため、3,500名の署名を集め、空港事務所に提出した。

・1999年(平成11年)11月15日  平和の額は一旦下ろされたが、11月28日に再度掲げる。

・1999年(平成11年)11月29日  掲げたことに対しての報告書を東京航空局東京空港事務所藤原次長に提出。その後、空港事務所より額を下してくれの要請があったが、横断幕にて「おろすな!!平和の額。絶対反対!!」、「のこせ平和の額人類の願い平和」を訴えた。

・2000年(平成12年)           元運輸省遠藤乙彦氏他大田区議会議員犬状氏の力ぞえにより運輸大臣扇千影氏へ羽田空港内大鳥居広場の行事使用と災害時の避難場所、平和の額の存続を陳情し平和の額であるならばよいという了解が得られた。同時に横断幕を下す。

・2003年(平成15年) 9月21日 ユニセフ募金箱設置。

・2006年(平成18年) 7月30日  第一回羽田平和記念祭、江戸消防記念会の方々により紅白の〆と、木遣(きやり)の御協力を頂きました。

・2007年(平成19年) 5月28日 フェンスで囲われていた鳥居でしたが、フェンスが取り外され、鳥居の下をくぐれるようになりました。

・2007年(平成19年) 9月21日 第二回羽田平和記念祭、平和を願い五年物の桜の記念樹を植樹し、鳥居に3個の平和の鈴を取り付けました。

・2008年(平成20年)           記念樹の櫻が何者かにより切断されるという悪質な事件が重なる。みんなの羽田ひろばに植樹した植木も7本切断される。

・2008年(平成20年) 9月       第三回羽田平和記念祭。 


 現在、大鳥居の場所は、元旦に初日の出を見る場所として、羽田夏祭りの町内神輿のパレードの出発地点として、また、日頃は、多摩川サイクリングコースの折り返し地点として休息の場、散策コースの一部として皆さんに親しまれています。また、羽田の名所めぐりのコースともなっています。

羽田ボランティア推進の会では、正月の門松設置、しめ縄の設置、献花、端午の節句にこいのぼりを揚げる、もちつき大会、江戸見汁の配布の活動を大鳥居広場で行っています。また、掲示板を設置し、羽田の歴史と文化について掲示しています。

大鳥居下の三つの飛び石は、羽田ボランティア推進の会で設置したものですが、三つの町(羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町)に暮らしていた今は亡き先人たちの平和への願いを記すという意味を込めたものです。

 

参照:<郷土の歴史>

【48時間以内で3つの町に住む3000人の失われた町】



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